街を歩く

目白から椎名町まで梅雨明けの街を歩く【東京散歩66】

東京に暮らして結構時間が経つけれど、まだまだ訪れたことのない街はたくさんある。
それが、都心から少し離れた場所ならまだしも、私はまだまだ都心にもたくさんあるのです。

そのひとつだったのが、目白。

残念ながら、街の情報をあまり持ち合わせていなかった私は、調べてみるとなるほど。とても魅力的な、文化の豊かな街。

今回はその目白の街へ行ってみることにしました。

 

目白といえば

私も、学習院大学が目白にあるということだけは知識がありました。

けれどそれが、唯一の私の目白の情報だったと言っても過言ではない。

皇族の方も通うというイメージからか、とても高級住宅地のイメージのある街。

駅を出るとすぐ右手側に学習院大学の建物があり、目の前に横たわる目白通り。
駅の出口を見上げると、学習院高等科のホッケー部の全国大会の成績を祝う横断幕がかかっていました。

都内有数の高級住宅地

実際に目白は都内有数の高級住宅地。

目白通りを挟んだ南側の下落合は、皇族の方などのお屋敷街が広がり、北側には、江戸時代に尾張徳川家のお屋敷跡にできたという「徳川黎明館」と「徳川ビレッジ」があることからも、誰もが頷く程の高級住宅地。

徳川黎明館は、尾張徳川家伝来の美術品や資料を管理しているらしい。その横にある徳川ビレッジは、閑静な住宅街。

目白の一角に、緑の木陰に庭付きの大きな邸宅の並ぶ閑静な住宅街がひっそりと立ち並んでいます。海外の方も多く暮らす場所、徳川ビレッジ。

一瞬都心であることを忘れるような海外のような住宅街、徳川ビレッジ。

目白文化村

また多くの文化人も暮らしていたらしい。

大正から昭和初期にかけて、郊外の住宅地として南長崎方面に広がる中落合が分譲されたそうで、多くの絵描や小説家達が暮らし目白文化村を形成したそうです。

目白文化村をはじめとした、郊外の住宅街は、昭和初期にかけて新宿西側方面までかなり大きくなり、西武新宿線が開通すると交通の便も良くなり、「都心で働き郊外へ帰る」というライフスタイルの先駆けとなった場所。

今となってはすっかりおなじみになったそのライフスタイルは、当時はモダンなものとして多くの人の憧れだったそう。

残念ながら、東京の大空襲で大半の住宅が焼失したそうで、現在はその面影はほとんど無くなっていました。

しかし、現在でも当時の文化村を形成した文化人たちのアトリエが残っており、この町ではそれを見てまわることに。

駅のすぐそばの老舗の和菓子屋さん「志むら」で、素晴らしく美味しいかき氷を食べて涼をとったら、いざ出発。

2人の洋画家のアトリエ

大正時代に活躍した2人の洋画家のアトリエを訪ねました。

1人は中村彝(つね)。ルノワールに強く影響を受けたそうで、展示されていた絵は、確かに私が見たことがあるルノワールの絵と作風が似ているような気もしますが、絵心が無いため細かな描写までは判断はできず。

高い天井から光が多く降り注ぐ明るいアトリエ。現在もカレーで有名な新宿中村屋は多くの芸術家が集まる「サロン」でもあったそうで、彼もその1人だったそうです。

若くして結核を患い、天涯孤独で、37歳で早逝したという彼のアトリエはとても静かでなんだか儚い美しさのある場所でした。

その中村彝を慕って、近くに暮らしたというもう1人の画家が佐伯祐三。こちらも30歳という若さで早逝した画家で、フランスと日本を行き来しながら街角を描いた方らしい。

フランスで、当時の多くの画家と交流したという芸術家で、この方も結核を患ったそう。

現在残っているアトリエは長らく奥様が1人で暮らしたそうで、こちらは中村彝のアトリエよりも生気を感じるというか、人が暮らした感じがしました。

私の表現力の低さのため、うまく表現できないのだが、それぞれにそこで暮らした人の姿が焼き付いているようでした。

大正から昭和にかけて、芸術を愛した人たちの姿がそこにあって、世の中的に日本は、豊かな時代だったのかなという雰囲気が残っている感じがしました。

 

椎名町と南長崎

目白文化村があった落合周辺から山手通りを跨ぐと、そこは南長崎。

ここはなんと言っても、昭和を代表する多くの有名漫画家たちが暮らしたという伝説のアパート「トキワ荘」があった街。

私も幼少期に夢中になった数々の漫画を生み出した漫画家さんたちが、若い時代に暮らした場所ということで、一度来てみたいと思っていた街でした。

トキワ荘

現在トキワ荘は残っておらず、当時のトキワ荘を忠実に再現したトキワ荘マンガミュージアムがあります。

南長崎の交差点を渡ると、まずは真っ直ぐに続く商店街。その商店街を歩きだすと、あちらこちらから、漫画の巨匠たちが若い頃に過ごした痕跡が目に飛び込んできます。

漫画家たちがよく通った映画館、喫茶店、出前をとったという中華屋、お米を買ったという米屋や立ち寄ったタバコ屋・・・。

ゆかりの地や暮らしを物語る場所が多く残っているので、当時の巨匠たちの暮らしを垣間見て、徐々に自分も当時を知るかのような気持ちになってしまう。

そんな錯覚を覚えた頃、トキワ荘マンガミュージアムを発見。建物はまさに昭和にありそうな古い風呂なしアパート。

当時、巨匠たちが出版社への連絡に使ったという電話ボックスも建物横に再現されていて、それがドラえもんの「もしもボックス」そのままでした。

手塚治虫先生が住んだことがきっかけで、多くの若手漫画家が集まっというそのアパートは、まさに青春が詰まったような場所。

共同台所とトイレに、6畳ほどの居室。お風呂はなし。当時の漫画家と編集者とのエピソードなども展示の解説に盛り込まれていて、まさに絵に描いたような「下積み」がそこにあ李ました。

まさに漫画を描くためだけに、暮らした場所。当時まだ漫画家の地位はそれほど高くなかったようで、ここで暮らした漫画家たちによって昭和のマンガ黄金期が作られていきます。

以前どこかで「楽しいものを作るには、遊びが必要なんだ。だからクリエイターには普段からぶっ飛んだ楽しい暮らしが必要なんだ」という(正確ではないけれど)ような意の言葉を聞いたことがあります。

へ〜そんなもんなのかな・・・と思っていたのだが、トキワ荘にはそんなものはひとつもない。

おもちゃコレクターの北原照久さんが所有されている「トキワ荘のカーテン」なるものがあるそう。

それは当時トキワ荘で手塚先生が退去した居室で残った若い漫画家たちが、お酒を飲みながら将来の夢を語り、寄せ書きをしたというカーテン。

トキワ荘には、夢を持って自分の想像力を働かせ限界に挑みながら、漫画を描いた漫画家たちの姿。

当時の日本の時代背景もあるのだろうけど、必死に暮らす人の暮らしがあった気がしました。

帰り道

初めて訪れた街からの帰宅は、いつも緊張する。特に利用する電車の沿線が初めてだと、なおさら。

今回も、少し緊張しながら西武池袋線の椎名町駅に向かった。とても開放感のある駅のホームに電車が到着。

行き先を、逆方向ではないか改めて確認して電車に乗ります。

椎名町駅の発車メロディーが、幼い頃に再放送で観た「怪物くん」のテーマソングだと聞いていたので、楽しみにしていました。

しかし、流れてきたのは全く知らないメロディー。長く愛される作品あるある。世代をまたいだ複数のテーマソングがあることに気づき、改めてトキワ荘メンバーの凄さを実感したのでした。

 

目白・椎名町の動画はこちら

 

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ABOUT ME
hitujico/ひつじこ
東京都内に住んでいます。 好きなこと・興味関心は、街歩き、旅行、本を読むこと、料理、美術館巡り、喫茶店巡り、文房具など。